民主主義と総意

デルフィニウム
(デルフィニウム)

ははーっ、と畏まって奉るような理屈を超えた存在を認める精神構造の持ち主たちにとって、民主主義は悪でしかないのかもしれませんね。

何故なら、その奉られる存在は、人民による人民個人個人の意思が直接的あるいは間接的に反映された多数決で決められたものではないからです。

民主主義の理念は、主権は人民にあり、支配(人民一人一人が直接的あるいは間接的に影響を受ける決定)は人民の総意に基づくものであるということでしょうね……様々な解釈はあるようですが…

そして、総意とは、民主主義の根本理念である個人個人の意志が反映される多数決によって決定されたことに、反対の考えを主張する人民も従うことを意味すると私は考えます。

歴史上では、「ソクラテスの毒杯」が有名ですね……私は、その内実は知りませんが(^^;)

上記の民主主義における「総意」は、私の勝手な解釈で、辞書による「全員の一致した意見・考え」の「総意」とは意味が異なりますが、私は論理的に妥当性があると思っています。

何故なら、民主主義の決定は、それがたとえ51%の多数によるものであったとしても、その決定に他の49%の人民も従うのでなければ、民主主義は内部崩壊してしまう…つまり、決定が決定に至らないからです。

従って、民主主義における決定は、結果として、総意となる必要があります。

それでは全体主義と同じじゃないかと仰る方もおりますでしょうね……ご尤もです。
決定されたなら、全員がその決定に従うという面では同じですね。

違いは、その決定に至る過程なのですが、それとても、多数の人民が、たとえば洗脳されて、全体主義的な考えを持つようになりますと、表面的には民主国家といえども、実質的には全体主義国家となってしまいます。

つまり、民主主義は、個人個人の意志が反映される多数決によって決定がなされるという過程、決定方法でしかなく、民主主義によって決定される事柄は正しいとか善だとかを保証している訳では全くないのです。

また、少数意見も尊重するのが真の民主主義であると、恰も、修正民主主義的なことを仰る方々も少なくありませんが、それは民主主義に宗教的な価値観を内在させようとする大いなる過ちです。

少数意見も尊重することは、民主主義の手法でもって人民が決定することです。

民主主義は真理とは没交渉なのです。

【ご参考】
★凡人の考察
★「民主主義」=数、真理とは無関係

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