精神的に統率されている集団は排他的になりやすい

神父や尼僧が神のご加護を祈る対象は、
お金をくれた(寄付などした)人が主なんで
しょうね…

それは偏見かもしれませんが、
そう思えてしまう場面を目にすることが
少なからずあります。

宗教だけではありませんが、
多くの人間が精神的に統率されている集団は
どうしても排他的になりやすいのでは
ないでしょうか…
何故って、歴史を紐解かなくとも、
ご自分の身の回りで困った経験がおありに
なると思うのですが…

どうして排他的かと言いますと、
集団/組織内部で「根本的な疑問・疑念」を
発生させないためですね。

特に若い時って、日常生活に困らないこと
でも、よく悩みます。何故なら、
まだ価値観が定まっていませんので、
色んな疑問・疑念が生じて…
精神的葛藤のような状況に陥りやすいん
です。

例えば、信仰は、そんな疑問・疑念を
払拭してくれますので、悩む必要がなく
なるんだと思います。

昔でいえば、ちょっと前頭葉に傷を
つけるってことでしょうか…

【ご興味があるかも…】
★ 異なる宗教が対等に共存することはあり得ない!?

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