日本という国名が決まったのはいつ?

「日本」という国名が決まったのはいつなのか…

考えたこともありませんでしたが、どうも、倭国と日本国を混同してしまっている場合が多そうです…

日本地図

建国記念の日は2月11日と定められていますが、決まった当時(1966年)の歴史家たちは反対したんだそうですね…

何故って、神話に基づいた紀元節の復活で、しかも、建国記念の日となった神武天皇が即位したといわれる紀元前660年(弥生時代)には「日本」という国はなかったのです。

因みに、建国記念日設定に神話が用いられているのは、日本と、剽窃と妄想で悪名高き韓国だけのようです(-_-;)

まあ、韓国の建国記念日は、宇宙創造の日だと言い出しかねないと揶揄されそうな国ですから…

ところで、厩戸王(聖徳太子=6~7世紀)は「日本人」ではなかった、と言いますと、エッ、朝鮮人だったのか!?
と過剰反応しがちかもしれませんが、そうではなくて、「倭人」だったのです。

当時の遣隋使は
倭国王の使いとして送られているのですから、当時は「倭国」であったのであり、「日本国」ではなかったのです。

それでは「日本」という国名はいつ決まったのか…
現在の歴史学者たちが
一般的に認めているのは、689年
だそうです。

天武天皇が編纂を開始し、その死後に皇后の持統天皇が689年に施行した「浄御原令」(きよみはらりょう)があります。

その浄御原令に「日本」という国名が明記されているとのことです。

対外的には、遣唐使の栗田真人が702年に「日本」からの使いであると述べたのが最初と言われているようですね。

我々日本人の多くは、
「日出る処」「日の本」
という日本のイメージを誇りに思っているかもしれませんが、どうも命名は単に中国大陸から見て「東方」という位置からきているのではと言われています。

日本に居れば、
日は更に東方から上ってくるわけですから、まあ、日本に居て「日の本」とは感じないでしょうね…

しかし、それなら、
東方国でも良かったわけですから、わざわざ「日本」としたことには、それなりの意味があったのではと思います。

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